家族というのは多様で、環境、境遇で家族への思いは違う。
私の家族のことを綴ることにします。
私は父母と血のつながりはない。
いわゆる養子として迎えられ、父母と家族となった。
かといって一般にいる家族とかわりはない。
だから、あえて子供ながらに、父のことで散々悩まされたことを書きます。
父はとてもお酒が好きな人でした。
お酒を毎日呑み、酒癖がわるい酒豪!
昔はそんな父親、世の中に沢山いたような気がしますが、私は小学生から成人以降も、父の酒癖の悪さに悩まされた。
周りに迷惑をかけないお酒の飲み方であれば問題はない。しかし父はお酒を呑むと止まらなくなり、普段は穏やかな静かな父が、母に暴言を大きな声で明け方まで吐き、騒ぐという始末!
私は父がお酒を呑みにいった日は、夜中に起こされる日々だった。
母はとても苦労した。
小学生ながら、必死に考え、お酒を呑んで夜中に騒いだことを録音し、父が素面になった時に聞かせてなんとかしようと考えたこともあった。
週に3日以上はそんな日々、兄弟もいない、誰にも相談することなく、父の酒癖は私が結婚しても続いた。
依存症だとしても、普段はとても真面目で穏やかな父!
病院につれていくのも可哀そうと妥協していた日々、孫が生まれても酒癖は変わらず、ある日精神科に相談に行った。
娘として父の為にはじめての決断だった。
私は30歳をすぎていた。
父になくなく病院のパンフレットを見せ、『お父さ ん、孫もお母さんも、主人も夜中に寝ることができずに困っている。ごめん病院にいってほしい』と涙ながらに言った記憶がある。
父はその日から大好きなお酒を、孫の為に一切口にすることを辞めた。私も母も驚いた。
父のせいで過去何十年も毎日、眠れず苦しんだことが帳消しとなった。最後には家族のために、依存していたお酒をきっぱりやめてくれた父の人生を今は誰にでもいうことができる。
父は、まさか人生想定していなかっただろう、ひ孫の存在をしっかり目にやきつけ87歳にて境涯を終えた。
今になれば、思い出として残る。
しかし当時は家族として子供の頃から、自分の気持ちをなんとか保ち、生活してきたことは間違いない。
DV男性との出逢いとなった原因は、父のせいにして、横道にそれた私自身に飛び火した浅はかな過去だ。
家族の中の悩みは外からでは見えない、隠したいと思う気持ちもわかる。
ただその悩みのせいで、自分を保つことができなくなったとしたら、連鎖を呼んでしまうこともあって…
自分をまず大切に考えてほしいとつたえたくて…
誰しも一人で生きていくことは不可能で、何等かしら人間と人間との関りがあります。
家族もそうですよね!
家族は自分では選ぶことができずスタートします。
そして家族も時間や環境と共に変化する場合もあります。
それぞれ境遇は違い、家族と暮らすなかで、もし親のことで自分が傷つき歩むことができず苦しむ人、子供のことで自分が傷つき迷い続けている人、応援できる選択肢はありま す!
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