第一章:届かなかった過去
「「10867」
これは2025年2月時点で全国にある子ども食堂の数。
中学校の数を上回るほど急増しています。
それだけ、あたたかいごはんと安心できる場所が求められているということ。
でも、私は思うんです。
**本当に困っている子に、ちゃんと届いているのかな?**と。
私自身、学校も家庭も安心できる場所ではありませんでした。
「子ども食堂があるよ」と言われても、行けなかったと思います。
情報も届かず、気力も余裕もなかった。
優しさすら怖くて、ただ、通り過ぎるしかなかった。
第二章:今、誰かに届けるために
だから今私は、本当に困っている人にも届く子ども食堂を始めようとしています。
誰にも会わなくていい。話さなくてもいい。名前も出さなくていい。「ここなら、受け取ってもいいかもしれない」
そう思えるような場所を、作りたいんです。それが、あのときの私が本当に必要としていたものだから。私が始めようとしているこの活動は、期間限定です。
でも、もしこの想いが誰かの目にとまって、「今度は自分が誰かに届けたい」と思ってくれる人がいたら、それだけでこの一歩には意味があると思っています。
私は、届かなかった側だったからこそ、
今は、誰かに届ける側でありたいと思っています。
第三章:親友だったあの子
子ども食堂の準備を進めていく中で、私は自分の過去と自然と向き合うようになった。
その中で、ふと一人の子のことを思い出した。
のちに私をいじめるようになった子――でも、実はその子は、かつての“親友”だった。
小学生の頃、私たちは毎日のように一緒にいて、何でも話す仲だった。
一緒に笑って、ふざけて、秘密を共有して、当たり前のように隣にいた。
私にとってその子は、かけがえのない存在だった。
第四章:命の授業
そんな私の記憶の中に、ひとつ忘れられない場面がある。
それは、小学校で行われた「命の授業」。テーマは、「どうして子どもは生まれてくるのか」。お母さんのお腹の中で赤ちゃんが育ち、生まれてくるまでの過程を知る授業だった。
その子は授業中、ずっとうつむいていて、最後には声を抑えきれずに、わんわんと泣いた。
教室に響くその泣き声は、今でも心に焼き付いている。
あとから知ったけれど、その子は小さい頃にお母さんを亡くしていて、家では妹の面倒を見ながら生活していた。「命の授業」は、その子にとって、あまりにもつらすぎる時間だったのだと思う。私はその涙を、親友としてすぐ隣で見ていた。でも、どう声をかければいいのか、何をすればいいのか分からなくて、ただ見ていることしかできなかった。
第五章:矛盾の始まり
それから時が経ち、中学生になってから、
その子は私をいじめるようになった。
どうして?
どうしてあの子が?
命の尊さを誰よりも知っているはずの、あの子が。
私はずっと、その矛盾が受け入れられなかった。
でも今は少しだけ、わかる気がする。
命の重さを知っているからといって、人を傷つけないとは限らない。
それほど単純な話じゃない。
むしろ、命の喪失という深い痛みを抱えたまま、
誰にもそれを受け止めてもらえないまま生きてきたとしたら、
その苦しさは、どうしたって行き場を失ってしまう。
第六章:気づいてほしかった
甘えたいのに甘えられない。
助けてほしいのに言葉にできない。
愛されたいのに、愛され方がわからない。
そんな気持ちを抱えたまま、
誰かに強く当たることでしか、自分の存在を支えられなかったのかもしれない。
だからこそ、私は思う。
あのとき、大人たちが気づいてあげていたら――
教室で涙を流していたその姿を、見逃さずに声をかけていたら。
支える場所が、そばにあったなら。
あの子は、違う生き方を選べたのかもしれない。
第七章:“もしも”を願う私がいる
もちろん、いじめが許されるわけではない。でも、いじめの裏には、助けを求めることすらできなかった子どもがいる。そこに目を向けなければ、いじめは根本からなくならない。私は、いじめられた自分の痛みを否定しない。そして、加害者となってしまったあの子にも、「違う道があったかもしれない」という事実を、忘れたくない。誰かの心を壊すことでしか生きられなかった子が、もう一度、自分をやり直せる場所を。そして、傷ついたまま置き去りにされた子が、「もう一度信じてみよう」と思える場所を。私はそんな、希望を取り戻せる居場所をつくっていきたい。そして今でも、ふと考えてしまう。
あの子が、あのとき救われていたら、違う未来があったんじゃないかって。私をいじめることなく、親友のままでいられた未来が、どこかにあったんじゃないかって。そんな“もしも”を、今でもどこかで願っている自分がいる。